わたしの生まれてきたわけは

そんなことを書いています。

師走

久々にブログを開いてみる気持ちになりました。

最近思っていたことは

 

自分の気持ちを言葉にできないな

 

ということ。

例えば友達、家族と話している時。何かを言われ、何か返答をしなければならないと思いつつ、私の心に浮かびあがる影を文章として発することができずに終わってしまう。

多くの友達は私が何かを発することを待ってくれたり、今はその時ではないのだろうと話を次に進めてくれたりする。家族であれば、今その話はしたくないと全てを置き去りにしてしまうこともできる。だけれど、その時一瞬でも私の心に浮かんだ影を私だけが忘れられずにいる。試しに影を文章にしようものなら、途端、自分の身から発したそれらが全て嘘偽りのように感じられてならない。そんな4か月を過ごした気がします。

 

どうして言葉にできないのかと問われたら、私は何と答えるのだろうか。ふとそんなことを思いました。

 

どうして?

 

考えてみると、例えばシンプルに今は考えたくないからという答えもありました。

または、何か他人に言葉にして伝えられるような成果はないけれど、アリよりももっと小さな一歩を踏み出していたからとか。

それから、一体どれが返答として最適なのかを考えていたら時間が過ぎてしまったとか。

人に尋ねられるまで私の頭の中があまりにも空っぽであったとか。

 

他人に話せるほど自分のことを分かっていなかったのだと思います。

だって、長いこと「休職しています。経過はぼちぼちです。薬は必要な時だけ飲んでいます。」と答えていれば全てが片付く生活を送っていたのです。

 

きっと、多分、この4か月間私は「私」に戻りたくて仕方なかったのだど思います。心に傷を負った人間ではなく、ひとりの人間になりたかった。例えその心が未だ脆く、つぎはぎだらけだったとしても。

でも、私に戻るためには、乗り越えなければならないものがあり、そしてなによりその前の約一年間では想像もつかないような量の情報に触れる必要があったのだと思います。

仕事を探すためには自分が何を望んでいるのかを考え、求人が何を伝えているのかを知らなければいけませんでした。

私に戻りたいと願う気持ちに連動し、知らず知らずのうちに外部からの声も変容し、増加したはずです。その外部からの声というのは励ましであったりアドバイスであったり。そのどれもが、優しく悪意のない言葉だった事は間違いありません。

でも、一年ほど自分の声にのみ耳を傾けきた私にとってそれは善悪も賛否も是非も要否も関係なく、全てが「私に向けられた言葉」として頭の中になだれ込んできていたように、今であれば感じることができます。

全てを吸い込み、全てをおざなりにすることなく、一旦抱きかかえました。

善悪も賛否も是非も要否も、情報の振り分けは後回し。

整理は終わりのない‟就寝前”に。はたまた夜明け前に始まる夢の中で。

 

この4か月間は、私にとって何かを発信できる時間ではなかったのでしょう。吸い込み、受け止め、精査して。そうして、自分の中で自分のためのだけの言葉を紡いでいたのだと思います。

何も言えない自分に対して、意思のない人間になってしまったのかと戸惑いを隠せない時間もありました。しかし、そういうことなら仕方がない。なぜなら、たとえ人に発信することができなくても、結局私は自分自身で答えを見つけ、自分の意思で選択し進んでいるとう実感がしっかりとあるから。一つ乗り越えた私はそう思います。

といいつつ、言語化する力はしっかり落ちている気がするので(もともとなかった…?)、徐々に高めていけたらいいなと思います。全てを言葉にすることはできなくも、ここぞという時に自分を失ってしまわないために。

 

そんなこんなで今、きっと私の背中を強く押したのであろう誰かの言葉がいくつか。確かにここに残っています。面白いのはそういう言葉が決して近しい人間の言葉に限られないこと。いつも私を見てくれていた人々からもらう言葉が許しや癒しをくれる一方、たまたま話す機会を得た人間がハッとするような強力な一言を降らせてきたり。一体どんな場所でどんな人が自分の人生を動かすことになるか分かりません。

 

 

以上、今年中に何となくすっきりできて良かった私でした。

良いお年を。

 

P.S.

前職休職中のTHE暗黒DAYから始まり、退職を経て今に至るこのブログですが、先日1月からの就業が決定しました。一年と4か月ぶりの社会人です。お給料いぇい&労働ガクブル!

 

溶けた”悲しみ”

ここ数日、何故かモヤモヤとしていた。

原因は分かっていた。友人とのいざこざ。でもそのいざこざはもうとっくに解決して、私たちは何事もなく日常を始めていた。

それでも、何故かモヤモヤとしていた。

 

でもやっと、溶けた。

 

私のモヤモヤのわけは、気持ちの境界線が溶けていたことにあった。自分の内から生まれでた悲しみなのか、相手の悲しみが私の心に巣食っていたのか、気付かぬうちに分からなくなっていたんだ。

私は自分勝手だった。

相手の悲しみとその行く末を勝手に想像して、勝手に"悲しく"なっていただけ。私は悲しくない。あたかも自分のもののように抱いてしまっていたけれど。

だから、でも私は友人の隣で笑っていようと思った。私の心に"悲しみ"のないやわらかな心で。

 

私の”悲しみ”は溶けて消えた。

 

深夜3時。

 

 

 

【追記】

昨日、モヤモヤが溶けた。その前に私がやっていたことはというと、

・大き目の紙を用意して、その場その時に思ったことをどんどん紙に書いていく。

・昨日はたまたま話を聞いてくれる人がいたのでその人の言葉も。時にはその人からの質問にに対する答えも。自分の気持ちは、自分が思ったことは全部書く。だから、紙は大きめの方がオススメ。それから、聞いてくれる人がいる時にやるのもオススメ。特に何日も同じことを考えている人は、時視野が狭くなって物事の捉え方が自分基準に偏りすぎてしまっているかもしれないから。外からみてくれている人がいると、それだけでも変わることがある。

・書いて、話して、書いて、話して、していると自分が一番気になっているところが何なのか、私も聞いている人も分かってくる。何故なら、私がそこに何度も戻ってくるから。ある個所が、(私の場合は)もとの字がよく見えなくなるくらいぐるぐるに〇で囲まれる。あぁここだ、と客観的に見つけることができる。

・大体はここで何かしらの答えがでる。なんだ、これか。じゃぁこうしよう、あぁしよう。

・今回はちょこっと例外だった。グダグダした感情を抱いたまま取り合えずベッドに入る気にはなれた。そうして横たわった時にするっと溶けた。あらら。

・という感じに、なにもかもが、いつも同じ手法で同じように解決するわけではない。でも、自分の中身を一つずつ言葉として外に出していくと、たくさんの絡まったコードがほどけて一番必要な一本だけが手元に残る。それからそれをどう扱うかは人それぞれ。扱い方が分からない時には、扱い方を探しに出るといいかもしれない。その一本だけを手に持って人に話せば、本を読めば、他のコードと絡まっていたころとは違うモノが見えるかも。

といった感じ。大きめの紙がポイントかもしれない。

頭が

久々に頭の中があれやこれやでいっぱい。

いいこと、悪いこと、変えたいこと、変わりたいこと。

 

「モノトーンには歌えない」って、今音楽番組のゲストが言ってて、「モノトーンには歌えない」って頭の中で繰り返したりする。

 

最近家で香水をつける。お香を焚くのもいいけれど、なんとなく昼間は香水を。去年の夏に買った香水で、もうすぐ一年。一応目に見えてわかるくらい使っている。

香水を買った一年前は、まだ休職が始まったばかりの頃だった。いまでこそ「始まったばかり」と思えるけれど、あの時の私は「もうこんなにたった」と思っていたと思う。どうしてあんなに焦っていたのか、今となっては分からない。いい意味で変わったのかしら。

どうしてその香水を買ったかっていうと、店員さんとお話ししちゃったから。本当は、友人の新居にお邪魔するためにお祝いの品を買いに行っただけだった。でも、そのお店では入店人数に制限がかかっていて、レジの並びも制限がかかっていた。その時は少しレジが混んでいて、その間に店員さんが他の商品の話をしてくれたんだけれど、その時私は「香り」に少し興味があって。店員さんの「ルームフレグランスなども」という声に、ピン!と頭の上に電球がのった気持ちになった。あんまりお金を使っても...と思っていた私はすかさず「あ、フレグランスですか、ちょっと興味あります」と。そうして最初はルームフレグランスの話をしていたのだけど、私が自分で言ったのか、反応の悪い私に店員さんが提案したのか。香水のお試し会が始まったのだ。3つある香りの中で私が選んだのは店員さんが一番最初にお勧めしてくれた香りで、店員さんはもともと私にはその香りしか勧めないような雰囲気だった。一応他にもあるのか聞いて、お試ししてみたけれど、店員さんの見染めた通り、私は最初の香りを購入した。はじめての香水だった。お値段にはちょびっと驚いたけど、でもそんなの関係なかった。香りに夢中だった。

とここまできてなんで香水の話を始めたのか、忘れたと思いきや思い出しました。そこには特に理由はなくて、唐突に始まったのでした。

あぁ、そういえば言いたかったのは香水のお値段がどうとかこうとかではなくて、その香水を買った時に買った引越し祝いを持って行ったご夫婦の結婚式が昨日ありました。

コロナ禍で、きっとたくさん考えて、2人で開催を決めたのでしょう。そのようなことを言ったいました。式は、ロケーションも内容も素敵でした。私にとって本当に家族のような存在のその2人はとてもキラキラと輝いていて、それでいていつもの親しみやすさが変わらず感じられました。

と、ここで今日の文章をよみかえしてみたところ、途中で「だである調」から「ですます調」に変わっていました。

親愛なるご夫婦の話をするための心構えだったのかもしれません。

 

では、ここらで今日はお開きです。ありがとうございました。

 

その子のその言葉

SNSの普及で誰もが何かを簡単に発信できる時代ですね。

私の友達にもちらほら、お仕事のために使ったり、シンプルに自分の思ったことを綴っていたりする人がいます。

 

ところでブログはSNSなんですか?

自分を発信している点としてはこれも同じでは?と今思ったので調べてみたらちょっと違うみたいです。

簡単にいうと、「書いてためていくブログ」と「情報が時間と共に流れていくSNS」ということでした。

「情報が時間と共に流れていく」というところが現代における情報摂取のスピード感を表しているように思います。

知っておいて損はしない!「ブログ」と「SNS」の違いとは? – 京都のホームページ制作会社「フリーセクション」

 

さて、今日はブログとSNSの違いを話したくて書いているのではないのです。

今日は、私のお友達のSNSのお話。

その子は最近、ある媒体で新しいアカウントを作りました。それは「その子の生活を切り取った」アカウントの様に思えます。

 

 

どうして私がその子のことをここに書きたかったのかというと、その綴る文章があまりにも「あたたかい」から。

読んでいると、ホッと一息ついたような優しさに包まれるから。

そのアカウントができてから、投稿には大体目を通しています。柔らかな色彩の写真に惹かれ、どうしても立ち止まってしまう。

キャプションを開くと、そこには彼女の日常が、その温度を保ったまま綴られている。

彼女の文章を読んだ時、その「温度」をとても心地よく感じる。目に留まる少しの涙を連れてくる。

 

不思議でした。

 

その子の中にあるものを読んだ。

とても素直で柔和な人なのだと思いました。

これまで私が見ていた彼女は責任感があって冷静で、常にクールでした。私はそんな彼女の外身に憧れたこともありました。そして、その外身も彼女であることに違いはない。

ただ、「今」彼女が求めているものは、その文章にあるように思います。

 

彼女の求めるものを傍に置いて。

 

あぁ、彼女の毎日が優しさで溢れてほしいと感じます。

 

 

わたしはわたしで、こんなことをぽつぽつと書いているけど、「人を想う」文章がやっと書けるようになりました。

ずっと、自分で必死だった生活に「人と共に過ごす」人生が戻ってきたように思います。

まだまだ、先はきっと長い。

焦らずに、私は私の役割を、一つずつこなしていきたいともう一度ここに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しなきゃ〜

洗濯しなきゃ〜

ご飯食べなきゃ〜

お水飲まなきゃ〜

薬飲まなきゃ〜

きゃ〜

 

なんだけど全然体がベッドから出ていかない。

いろんなことが、「しなきゃ〜」でしか再生されないのは好ましくないねぇ。

 

早くこの部屋から出たいなぁ。

求職者じゃない時間

更新がいつもド深夜なのはいかがなものかと思いつつ、今日も今日とて深夜2時に書き始める。

 

2月から投稿が滞っていたのは、体調がすぐれなかったからでも、求職に勤しんでいたからでもない。

書くことがなかったから。

 

なんていうと、いったいどんな怠けた生活をしているんだと思われるそうだけど、そういうわけでもない。

ちゃんと、日々、思うことや、気づくこと、変わっていくことがある。

でも、それをいつかのためにためておきたいと思える場所をここ以外に見つけてしまったのよ。それだけ。

それが今の私の「楽しい場所」。

 

自分のノートに書くだけでは解消されなかった何かをどうにかしたくてこのブログを始めてみた。

良い感じだった。

初めて記事を書いた時と比べると、私も、身を置く環境も随分と変わった。

求職は、正直してない。

 

 

いつかの記事で「休職者から退職者になって求職者になる」的なことを書いたのは誰だったかな。

仕方ないよね。予定は未定。

 

 

でも、全部はこのブログから始まったんだよ。

 

またなんかあったら投稿しよーっと。

 

 

 

 

多分今日は寝られないや

もうすぐ深夜3時半。

英語だとat three and a half in morningとかって言うから、そこそこ朝。

 

最近人知れずになにかとあって、情報処理に時間がかかっている。

何が、とは言わないけれど。

 

だから多分今日はなかなか寝られない。

前だったら、寝られないなー寝られないなーって頑張ってたんだろうなぁ。それがストレスにもなってたんだろうなぁ。

と、思うと成長した。

 

もう開き直ったよ。寝られんものは寝られんのよ。

 

 

噂の、なんやかんやについても、前だったら一人でずぅっとぐるぐるしてたと思う。

でも、今回はちゃんと人に話をしてみた。

話した、と言ってもLINEで、途切れ途切れに。向こうからしたら何が言いたいか全体像は見えないと思うけど。

それでも幾らかは解消された。

だから今こうやってカキカキしてる。

そんな風にしても多くは聞いてこない人達だし。

 

これが人を信頼してるってことなのかねぇ。

 

 

今日だけでいうと、たまたま友達から電話もあって、「元気?」って聞いてくるから「元気じゃなかったけど生きてた」ってちゃんと正直に言ったんだ。

「声がそんな感じした」だって。

そしたら、その後たくさん笑わせてくれた。

おなかよじれた。

 

 

今日は多分これを書き終わって4時くらいには寝られそう。そんな気がする。玄人の勘。

 

おやすみ。