2021年になるまで
久々に記事を書く。気付ば2021年。
あけましておめでとうございます。
休職をきっかけにぽつぽつと書き始めたこのブログ。
更新頻度は本当にぽつぽつ。
そんな私は、退職を決めた。
休職を始めたの2020年8月。夏真っ盛り。少しコロナが落ち着いていたころ。人に会うことに尋常ではない体力を必要とした。実家にいることがしんどくなって1か月限定の1人暮らしを始めた。藤井風が永遠と流れた。
9月にこのブログを書き始めた。心が地の底に落ちていたころ。だけど、残暑がなんとか私を励ましてくれていた気がする。まだ間に合う、この夏の思い出を作ろう。新調したジーパンと靴が、ふわりと私を外に向かわせた。
10月、あまり記憶はないけれど体力の回復とともに慌ただしい日々が戻ってきた。慌ただしかったのは私の体か、それとも心か。心身のバランス取りにあくせく。念願の「大きな本棚」を自室に導入した。心躍った。それでも悶々としていたら、ある人に「『楽しい』を思い出す練習をしろ」と言われ、鳥取旅行を決めた。「コロナだから」を一旦封印した。GoTo真っ盛り。一人では頭がフリーズしてしまい旅程が一行に決まらなかったので、友人に一緒に考えてもらった。このお願いに何も突っ込みを入れてこなかった彼女は、きっと私に慣れすぎている。結局GoToはひとつも利用しない旅行になった。
11月はなかなか有意義な月だった。姉の家に1週間滞在した。某剣士達の映画も見た。「姉」が「私」にグッと近づいた。私達には同じ血が流れているのだ。9つ離れていて服のセンスや選ぶ進路が全く違っていても、どこか、誰よりも自分に近い生物な気がする。それに気が付くのに25年かかった。いや、私が勝手に彼女を作り上げてそれ以上を求めなかったからかもしれない。求める機会がなかったのかもしれない。彼女の言葉たちが本当の彼女を教えてくれた。
鳥取砂丘に入り浸った。砂漠っぽい場所を探し回った。座って、青空と、白い雲の下、少し冷たい風にあたりながら一息ついた。
鳥取はずっと帰りたかった場所に似ていた。人が少なくて、山が見えた。バスに乗って、おいしいカレーを食べに行った。偶然見つけた本屋がとってもクールだった。
旅行中、空は常にすっきりと晴れていた。
12月は、ぼちぼち過ごした。だけど、まず何かを決めなければいけないような、2020年に置いていくべきものがあるような気がした。冬がゆっくりと近づいてきたころ。コロナの影が再び濃くなり始めたころ。決めた。
退職届が家に届いた。
届いた封筒をすぐには開けられなかった。
自分で決めて、
一旦見て見ぬふりをした。
12月24日。開けた。友人に背中を押され、父親に励まされ。封を切れないのは「今を生きていないからだ」と気づいたから。退職届の入った封筒を前にして、まだ迷っていた数日前を生きていた。
12月25日。投函した。もう決断を振り返る必要はなかった。2020年に置いていこう。自分の直感を信じた。先のことはあまり考えなかった。
高校卒業の時部活の顧問から贈られた「今を生きる」という言葉が何を意味していのか少しわかった気がした。
1月。ゆらゆらした。今後を案じた。私の心はなんと揺れやすいものか。振り子のように、少し触れただけで動き始める。それでも私の心はなんとも単純で、職場への挨拶を終えれば多少の安定を取り戻した。「楽しみなこと」が近づけば、こんな風に文章だって書き始める。あと10日もしない内に1月が終わる。でも、まだ終わってない。
このブログを書き始めたころは休職者だった私も、今月末で退職者になる。それから求職者になる。二つのことを同時にやるのは難しい。労働者でありながら求職者になる人もいるけれど、私は私のために一つ一つ自分の役割を順番にこなしていこうと思う。
今はまだ休職者。いぇい。