わたしの生まれてきたわけは

そんなことを書いています。

溶けた”悲しみ”

ここ数日、何故かモヤモヤとしていた。

原因は分かっていた。友人とのいざこざ。でもそのいざこざはもうとっくに解決して、私たちは何事もなく日常を始めていた。

それでも、何故かモヤモヤとしていた。

 

でもやっと、溶けた。

 

私のモヤモヤのわけは、気持ちの境界線が溶けていたことにあった。自分の内から生まれでた悲しみなのか、相手の悲しみが私の心に巣食っていたのか、気付かぬうちに分からなくなっていたんだ。

私は自分勝手だった。

相手の悲しみとその行く末を勝手に想像して、勝手に"悲しく"なっていただけ。私は悲しくない。あたかも自分のもののように抱いてしまっていたけれど。

だから、でも私は友人の隣で笑っていようと思った。私の心に"悲しみ"のないやわらかな心で。

 

私の”悲しみ”は溶けて消えた。

 

深夜3時。

 

 

 

【追記】

昨日、モヤモヤが溶けた。その前に私がやっていたことはというと、

・大き目の紙を用意して、その場その時に思ったことをどんどん紙に書いていく。

・昨日はたまたま話を聞いてくれる人がいたのでその人の言葉も。時にはその人からの質問にに対する答えも。自分の気持ちは、自分が思ったことは全部書く。だから、紙は大きめの方がオススメ。それから、聞いてくれる人がいる時にやるのもオススメ。特に何日も同じことを考えている人は、時視野が狭くなって物事の捉え方が自分基準に偏りすぎてしまっているかもしれないから。外からみてくれている人がいると、それだけでも変わることがある。

・書いて、話して、書いて、話して、していると自分が一番気になっているところが何なのか、私も聞いている人も分かってくる。何故なら、私がそこに何度も戻ってくるから。ある個所が、(私の場合は)もとの字がよく見えなくなるくらいぐるぐるに〇で囲まれる。あぁここだ、と客観的に見つけることができる。

・大体はここで何かしらの答えがでる。なんだ、これか。じゃぁこうしよう、あぁしよう。

・今回はちょこっと例外だった。グダグダした感情を抱いたまま取り合えずベッドに入る気にはなれた。そうして横たわった時にするっと溶けた。あらら。

・という感じに、なにもかもが、いつも同じ手法で同じように解決するわけではない。でも、自分の中身を一つずつ言葉として外に出していくと、たくさんの絡まったコードがほどけて一番必要な一本だけが手元に残る。それからそれをどう扱うかは人それぞれ。扱い方が分からない時には、扱い方を探しに出るといいかもしれない。その一本だけを手に持って人に話せば、本を読めば、他のコードと絡まっていたころとは違うモノが見えるかも。

といった感じ。大きめの紙がポイントかもしれない。