わたしの生まれてきたわけは

そんなことを書いています。

その子のその言葉

SNSの普及で誰もが何かを簡単に発信できる時代ですね。

私の友達にもちらほら、お仕事のために使ったり、シンプルに自分の思ったことを綴っていたりする人がいます。

 

ところでブログはSNSなんですか?

自分を発信している点としてはこれも同じでは?と今思ったので調べてみたらちょっと違うみたいです。

簡単にいうと、「書いてためていくブログ」と「情報が時間と共に流れていくSNS」ということでした。

「情報が時間と共に流れていく」というところが現代における情報摂取のスピード感を表しているように思います。

知っておいて損はしない!「ブログ」と「SNS」の違いとは? – 京都のホームページ制作会社「フリーセクション」

 

さて、今日はブログとSNSの違いを話したくて書いているのではないのです。

今日は、私のお友達のSNSのお話。

その子は最近、ある媒体で新しいアカウントを作りました。それは「その子の生活を切り取った」アカウントの様に思えます。

 

 

どうして私がその子のことをここに書きたかったのかというと、その綴る文章があまりにも「あたたかい」から。

読んでいると、ホッと一息ついたような優しさに包まれるから。

そのアカウントができてから、投稿には大体目を通しています。柔らかな色彩の写真に惹かれ、どうしても立ち止まってしまう。

キャプションを開くと、そこには彼女の日常が、その温度を保ったまま綴られている。

彼女の文章を読んだ時、その「温度」をとても心地よく感じる。目に留まる少しの涙を連れてくる。

 

不思議でした。

 

その子の中にあるものを読んだ。

とても素直で柔和な人なのだと思いました。

これまで私が見ていた彼女は責任感があって冷静で、常にクールでした。私はそんな彼女の外身に憧れたこともありました。そして、その外身も彼女であることに違いはない。

ただ、「今」彼女が求めているものは、その文章にあるように思います。

 

彼女の求めるものを傍に置いて。

 

あぁ、彼女の毎日が優しさで溢れてほしいと感じます。

 

 

わたしはわたしで、こんなことをぽつぽつと書いているけど、「人を想う」文章がやっと書けるようになりました。

ずっと、自分で必死だった生活に「人と共に過ごす」人生が戻ってきたように思います。

まだまだ、先はきっと長い。

焦らずに、私は私の役割を、一つずつこなしていきたいともう一度ここに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

求職者じゃない時間

更新がいつもド深夜なのはいかがなものかと思いつつ、今日も今日とて深夜2時に書き始める。

 

2月から投稿が滞っていたのは、体調がすぐれなかったからでも、求職に勤しんでいたからでもない。

書くことがなかったから。

 

なんていうと、いったいどんな怠けた生活をしているんだと思われるそうだけど、そういうわけでもない。

ちゃんと、日々、思うことや、気づくこと、変わっていくことがある。

でも、それをいつかのためにためておきたいと思える場所をここ以外に見つけてしまったのよ。それだけ。

それが今の私の「楽しい場所」。

 

自分のノートに書くだけでは解消されなかった何かをどうにかしたくてこのブログを始めてみた。

良い感じだった。

初めて記事を書いた時と比べると、私も、身を置く環境も随分と変わった。

求職は、正直してない。

 

 

いつかの記事で「休職者から退職者になって求職者になる」的なことを書いたのは誰だったかな。

仕方ないよね。予定は未定。

 

 

でも、全部はこのブログから始まったんだよ。

 

またなんかあったら投稿しよーっと。

 

 

 

 

多分今日は寝られないや

もうすぐ深夜3時半。

英語だとat three and a half in morningとかって言うから、そこそこ朝。

 

最近人知れずになにかとあって、情報処理に時間がかかっている。

何が、とは言わないけれど。

 

だから多分今日はなかなか寝られない。

前だったら、寝られないなー寝られないなーって頑張ってたんだろうなぁ。それがストレスにもなってたんだろうなぁ。

と、思うと成長した。

 

もう開き直ったよ。寝られんものは寝られんのよ。

 

 

噂の、なんやかんやについても、前だったら一人でずぅっとぐるぐるしてたと思う。

でも、今回はちゃんと人に話をしてみた。

話した、と言ってもLINEで、途切れ途切れに。向こうからしたら何が言いたいか全体像は見えないと思うけど。

それでも幾らかは解消された。

だから今こうやってカキカキしてる。

そんな風にしても多くは聞いてこない人達だし。

 

これが人を信頼してるってことなのかねぇ。

 

 

今日だけでいうと、たまたま友達から電話もあって、「元気?」って聞いてくるから「元気じゃなかったけど生きてた」ってちゃんと正直に言ったんだ。

「声がそんな感じした」だって。

そしたら、その後たくさん笑わせてくれた。

おなかよじれた。

 

 

今日は多分これを書き終わって4時くらいには寝られそう。そんな気がする。玄人の勘。

 

おやすみ。

青さ

今日はいいお天気。

夜からオンライン飲み会の予定があったので明るい時間に買い出しのために家をでた。

まっすぐスーパーに向かおうと思っていたのに、そうそうに進路を変えてお散歩スタート。いつも富士山が見える道を通った。

 

今日の富士山は、日が傾きかけた空の色にすっかり溶け込んでいた。肉眼でも見落としてしまいそう。

写真を撮ってみたけれど、きっと私にしか見つけられない。

 

お散歩も疲れてきて、買い出しも済んで、少し肌寒くなってきて、今度はまっすぐ家に帰った。

たけどなんだか今日の空を諦めきれなくて、ベランダに出て音楽を聴きながら日が暮れるのを待ってみた。コートを羽織って、足元は靴下につっかけサンダル。寒いかな。

 

 

 

今日の空はとてもやさし気だった。冬のシンとした感じも、春の朗らかな発色の良さも敵わないくらい。

青とオレンジのグラデ―ションが少しずつ変わっていくのを、最近お気に入りの歌を歌いながら眺めた。熱唱?

 

でも、ふと歌うことを忘れる瞬間があった。

空の青さがほんの少しだけ夜を帯び始めたころ。その「青さ」から目を離せなくなる。

 

空だったものが空でなくたった。

あれは本当に空だったのだろうか。

私の目がとらえたのは、私の心の色だったのかもしれない。

動けない。声を奪われる。体の力が抜けて、椅子に私のすべてを傾けた。

 

少しして薄暮の時間がやってきた。

人間が最も視覚を惑わされる時間。

空が何色にも見えた。

うまく色をとらえられない。

周りのマンションが、煌々と輝く灯りをともし出す。

私の視覚を惑わす。

 

あの空は私の前から消えた。

空の色だけを映したい。この目に。

私の目を惑わす全てをこの世からなくしてしまいたい。

 

それでもこれが私の住む町の空の色なのか。

そう思うと、ないものねだりな自分を少し恥ずかしく思った。

 

 

グラデーションが青と黄緑、端っこに申し訳程度のオレンジに代わった。

 

夜が始まる。

2021年になるまで

久々に記事を書く。気付ば2021年。

あけましておめでとうございます。

休職をきっかけにぽつぽつと書き始めたこのブログ。

更新頻度は本当にぽつぽつ。

そんな私は、退職を決めた。

 

休職を始めたの2020年8月。夏真っ盛り。少しコロナが落ち着いていたころ。人に会うことに尋常ではない体力を必要とした。実家にいることがしんどくなって1か月限定の1人暮らしを始めた。藤井風が永遠と流れた。

 

9月にこのブログを書き始めた。心が地の底に落ちていたころ。だけど、残暑がなんとか私を励ましてくれていた気がする。まだ間に合う、この夏の思い出を作ろう。新調したジーパンと靴が、ふわりと私を外に向かわせた。

 

10月、あまり記憶はないけれど体力の回復とともに慌ただしい日々が戻ってきた。慌ただしかったのは私の体か、それとも心か。心身のバランス取りにあくせく。念願の「大きな本棚」を自室に導入した。心躍った。それでも悶々としていたら、ある人に「『楽しい』を思い出す練習をしろ」と言われ、鳥取旅行を決めた。「コロナだから」を一旦封印した。GoTo真っ盛り。一人では頭がフリーズしてしまい旅程が一行に決まらなかったので、友人に一緒に考えてもらった。このお願いに何も突っ込みを入れてこなかった彼女は、きっと私に慣れすぎている。結局GoToはひとつも利用しない旅行になった。

 

11月はなかなか有意義な月だった。姉の家に1週間滞在した。某剣士達の映画も見た。「姉」が「私」にグッと近づいた。私達には同じ血が流れているのだ。9つ離れていて服のセンスや選ぶ進路が全く違っていても、どこか、誰よりも自分に近い生物な気がする。それに気が付くのに25年かかった。いや、私が勝手に彼女を作り上げてそれ以上を求めなかったからかもしれない。求める機会がなかったのかもしれない。彼女の言葉たちが本当の彼女を教えてくれた。

鳥取砂丘に入り浸った。砂漠っぽい場所を探し回った。座って、青空と、白い雲の下、少し冷たい風にあたりながら一息ついた。

鳥取はずっと帰りたかった場所に似ていた。人が少なくて、山が見えた。バスに乗って、おいしいカレーを食べに行った。偶然見つけた本屋がとってもクールだった。

旅行中、空は常にすっきりと晴れていた。

 

 

12月は、ぼちぼち過ごした。だけど、まず何かを決めなければいけないような、2020年に置いていくべきものがあるような気がした。冬がゆっくりと近づいてきたころ。コロナの影が再び濃くなり始めたころ。決めた。

 

退職届が家に届いた。

 

届いた封筒をすぐには開けられなかった。

 

自分で決めて、

 

一旦見て見ぬふりをした。

 

12月24日。開けた。友人に背中を押され、父親に励まされ。封を切れないのは「今を生きていないからだ」と気づいたから。退職届の入った封筒を前にして、まだ迷っていた数日前を生きていた。

12月25日。投函した。もう決断を振り返る必要はなかった。2020年に置いていこう。自分の直感を信じた。先のことはあまり考えなかった。

高校卒業の時部活の顧問から贈られた「今を生きる」という言葉が何を意味していのか少しわかった気がした。

 

1月。ゆらゆらした。今後を案じた。私の心はなんと揺れやすいものか。振り子のように、少し触れただけで動き始める。それでも私の心はなんとも単純で、職場への挨拶を終えれば多少の安定を取り戻した。「楽しみなこと」が近づけば、こんな風に文章だって書き始める。あと10日もしない内に1月が終わる。でも、まだ終わってない。

 

 

 

このブログを書き始めたころは休職者だった私も、今月末で退職者になる。それから求職者になる。二つのことを同時にやるのは難しい。労働者でありながら求職者になる人もいるけれど、私は私のために一つ一つ自分の役割を順番にこなしていこうと思う。

今はまだ休職者。いぇい。

 

 

私の人生と、誰かの未来

休職期間も4ヶ月目が終わろうとしています。

そして、「そろそろ次のお仕事の方向性を決めましょうね☆」という感じにお医者さんに言われています。

 

今、会いたい人がたくさんいます。

私の今の生活圏内にその人達は暮らしています。今はコロナで気軽には会えないけれど。

 

11月の半ば、鳥取に一人で旅行に行きました。

田舎でした。私が生まれ、13年育った場所にとても近くて似ていました。

砂丘は延々と続いていて、空と海と風が、私を包み込みました。

ここに住んでいたらどんな人生になるのだろう。そんな風に思いました。欲はなく、とてもシンプルな人生が送れたかもしれません。だけど、そう思うのはそこに生活がないからかもしれません。

 

今とっても会いたい人達は、私が心地よく感じた場所には住んでいません。そして私も。

日々、忙しなく人々が行き交うところに住んでいます。

 

私は、今住んでいる場所から離れたいのでしょうか。今とっても会いたい人達がいる場所から離れたいのでしょうか。

例えそうだとしても、それもまた人生です。

私は一人で、自分の人生のために、どこかに行くかもしれません。

 

もしものお話です。

私たちは、未来を想像することはできても「見る」ことはできない。

 

私は今、とっても迷っています。