わたしの生まれてきたわけは

そんなことを書いています。

部屋

 私の自己紹介欄を読んでご存じの方もいらっしゃるかと思うが、このブログは精神的なアレコレにより休職中の人間が始めたもので、現在もその真っただ中である。

 

 この記事を読むにあたって知っておいてほしいことは、私が、今在籍している会社に復帰するつもりはないということ。それだけ頭に入れておいてほしい。

 

 先日、元上司と部下(といってもほぼお友達)によって、「私の身を案じる会」が神奈川県某所で開かれた。仮に上司をY、部下をSとする。

この元上司Yというのは、私が会社内で最もお世話になり、最も尊敬している人で、この人のために働いていたと言っても過言ではない人物。2年間を共にした人だ。キャリアコンサルタントの資格を取得中である。

部下のSは、主婦のパートさんで、かわいい。好き。高校生の息子がいるなんて思えない若々しさ。好き。なのである。

休職期間が始まってから、本当は私が一番会いたくて、でも一体どんな顔をして会えば良いのかわからずずっと連絡を取れずにいた二人で、この会は、そんな二人からのお誘いだった。

 

ちなみに余談だが、我々の間ではこの会を、Sの名を「徹子の部屋」に当てはめて「〇〇の部屋」と呼んでいる。が、あいにく実名は出せない。残念だ。身内ネタだし。それでもこの「部屋ネタ」を強調したくてタイトルを「部屋」にしました。意味を分かってほしくて説明までしました。悔いはありません。

 

 さて、第一回「身を案じる会」はザックリいうと私が休職に至った経緯、現状、今後の三点を探る会であった。誘われた時点で分かってたけどね。

 会場となったとあるカフェで席に着いた瞬間から、私は、いつ、どのように、どんな風に何を聞かれ、そしてどの様に返答されるのか、正直大変に緊張していた。しかし、「動のS」と「静のY」に導かれ、私は嘘のようにべらべらと本音をあらわにした。

 わかっていた。Yがこの会に正社員ではなくパートのSを連れてきた時点で、いかに話しやすい空間が生まれるかなんて。それにしても、「動のS」の質問の仕方が見事すぎる。さすがに人生の先輩。参りました。

 

 また共に働きたいと願うSの容赦ない、でも不快でもない質問攻めに、私は一つ一つゆっくりと、答えていった。その間、「静のY」は、時に微笑み、時にうなずき、まっすぐに私を見ていた。私の言葉を聞き逃すまいとしていたように思える。何を言うことも許された。

 Sが私に様々な事柄を尋ね、私が答え、Sがそれに対する気持ちを私に伝える。と同時にYに視線を送る。Sの思うところは、正社員的にどうなのか、と確認するように。そんな風に会話が次から次へと進んでいった。私がゆっくりと言葉を選んでいたように、視線を送られたYもまた慎重に言葉を選んでいたように思う。

 

 恐らく、Sがその日最も私に確認したかったであろう、転職の意志を、私がはっきりと口にしたのは会が始まってからどれほどたった時だっただろう。

 Y の、それに対する返答はこうだった。

「今までの彼女の話を聞いた上で(中略)私は最終的には転職を勧めると思う」

そしてこうも言った。

「次の職が決まるまでのサポートならいくらでもする」

 

 私は、安心した。本当は一番怖かった。Yに会って、もしも転職を止められたら。強引に止められることがないのは確かだった。ただ、話をした後で、転職に対して背中を押してくれるかどうかは正直わからなかった。どんなに信頼している人でも。いや、信頼している人だったからこそ。信頼してくれている人だったからこそ。

 立ち去ろうとする人間に対して、ここまで尽力してくれる元上司が他にいるだろうか。私は本当に運が良い。恵まれている。

 今後、次の職を見つけるまでの間、実際にYにどの程度お世話になるかはわからない。近しい人だからこそ見えない部分もあるかもしれないから。ただ、私を知っている人の力もまた借りよう。借りられるものはいくらでも。

 

 会を終え、帰り道、この会社に入社し、YとSという人間に出会えたことは私にとっての大きな財産だと思った。

 家に戻り、夕飯の準備をしている母に、会の様子やYの言葉を伝えた。母は言った、

「類は友を呼ぶのよ。あなたが会社で誠意をもって働いていいたからこそ、そうやって誠意をもって大切に接してくれる人がいるのね」 

 

「類は友を呼ぶ」

 

これまでの人生で、こんなにもこの言葉が優しく聞こえた日はなかった。