わたしの生まれてきたわけは

そんなことを書いています。

青さ

今日はいいお天気。

夜からオンライン飲み会の予定があったので明るい時間に買い出しのために家をでた。

まっすぐスーパーに向かおうと思っていたのに、そうそうに進路を変えてお散歩スタート。いつも富士山が見える道を通った。

 

今日の富士山は、日が傾きかけた空の色にすっかり溶け込んでいた。肉眼でも見落としてしまいそう。

写真を撮ってみたけれど、きっと私にしか見つけられない。

 

お散歩も疲れてきて、買い出しも済んで、少し肌寒くなってきて、今度はまっすぐ家に帰った。

たけどなんだか今日の空を諦めきれなくて、ベランダに出て音楽を聴きながら日が暮れるのを待ってみた。コートを羽織って、足元は靴下につっかけサンダル。寒いかな。

 

 

 

今日の空はとてもやさし気だった。冬のシンとした感じも、春の朗らかな発色の良さも敵わないくらい。

青とオレンジのグラデ―ションが少しずつ変わっていくのを、最近お気に入りの歌を歌いながら眺めた。熱唱?

 

でも、ふと歌うことを忘れる瞬間があった。

空の青さがほんの少しだけ夜を帯び始めたころ。その「青さ」から目を離せなくなる。

 

空だったものが空でなくたった。

あれは本当に空だったのだろうか。

私の目がとらえたのは、私の心の色だったのかもしれない。

動けない。声を奪われる。体の力が抜けて、椅子に私のすべてを傾けた。

 

少しして薄暮の時間がやってきた。

人間が最も視覚を惑わされる時間。

空が何色にも見えた。

うまく色をとらえられない。

周りのマンションが、煌々と輝く灯りをともし出す。

私の視覚を惑わす。

 

あの空は私の前から消えた。

空の色だけを映したい。この目に。

私の目を惑わす全てをこの世からなくしてしまいたい。

 

それでもこれが私の住む町の空の色なのか。

そう思うと、ないものねだりな自分を少し恥ずかしく思った。

 

 

グラデーションが青と黄緑、端っこに申し訳程度のオレンジに代わった。

 

夜が始まる。

2021年になるまで

久々に記事を書く。気付ば2021年。

あけましておめでとうございます。

休職をきっかけにぽつぽつと書き始めたこのブログ。

更新頻度は本当にぽつぽつ。

そんな私は、退職を決めた。

 

休職を始めたの2020年8月。夏真っ盛り。少しコロナが落ち着いていたころ。人に会うことに尋常ではない体力を必要とした。実家にいることがしんどくなって1か月限定の1人暮らしを始めた。藤井風が永遠と流れた。

 

9月にこのブログを書き始めた。心が地の底に落ちていたころ。だけど、残暑がなんとか私を励ましてくれていた気がする。まだ間に合う、この夏の思い出を作ろう。新調したジーパンと靴が、ふわりと私を外に向かわせた。

 

10月、あまり記憶はないけれど体力の回復とともに慌ただしい日々が戻ってきた。慌ただしかったのは私の体か、それとも心か。心身のバランス取りにあくせく。念願の「大きな本棚」を自室に導入した。心躍った。それでも悶々としていたら、ある人に「『楽しい』を思い出す練習をしろ」と言われ、鳥取旅行を決めた。「コロナだから」を一旦封印した。GoTo真っ盛り。一人では頭がフリーズしてしまい旅程が一行に決まらなかったので、友人に一緒に考えてもらった。このお願いに何も突っ込みを入れてこなかった彼女は、きっと私に慣れすぎている。結局GoToはひとつも利用しない旅行になった。

 

11月はなかなか有意義な月だった。姉の家に1週間滞在した。某剣士達の映画も見た。「姉」が「私」にグッと近づいた。私達には同じ血が流れているのだ。9つ離れていて服のセンスや選ぶ進路が全く違っていても、どこか、誰よりも自分に近い生物な気がする。それに気が付くのに25年かかった。いや、私が勝手に彼女を作り上げてそれ以上を求めなかったからかもしれない。求める機会がなかったのかもしれない。彼女の言葉たちが本当の彼女を教えてくれた。

鳥取砂丘に入り浸った。砂漠っぽい場所を探し回った。座って、青空と、白い雲の下、少し冷たい風にあたりながら一息ついた。

鳥取はずっと帰りたかった場所に似ていた。人が少なくて、山が見えた。バスに乗って、おいしいカレーを食べに行った。偶然見つけた本屋がとってもクールだった。

旅行中、空は常にすっきりと晴れていた。

 

 

12月は、ぼちぼち過ごした。だけど、まず何かを決めなければいけないような、2020年に置いていくべきものがあるような気がした。冬がゆっくりと近づいてきたころ。コロナの影が再び濃くなり始めたころ。決めた。

 

退職届が家に届いた。

 

届いた封筒をすぐには開けられなかった。

 

自分で決めて、

 

一旦見て見ぬふりをした。

 

12月24日。開けた。友人に背中を押され、父親に励まされ。封を切れないのは「今を生きていないからだ」と気づいたから。退職届の入った封筒を前にして、まだ迷っていた数日前を生きていた。

12月25日。投函した。もう決断を振り返る必要はなかった。2020年に置いていこう。自分の直感を信じた。先のことはあまり考えなかった。

高校卒業の時部活の顧問から贈られた「今を生きる」という言葉が何を意味していのか少しわかった気がした。

 

1月。ゆらゆらした。今後を案じた。私の心はなんと揺れやすいものか。振り子のように、少し触れただけで動き始める。それでも私の心はなんとも単純で、職場への挨拶を終えれば多少の安定を取り戻した。「楽しみなこと」が近づけば、こんな風に文章だって書き始める。あと10日もしない内に1月が終わる。でも、まだ終わってない。

 

 

 

このブログを書き始めたころは休職者だった私も、今月末で退職者になる。それから求職者になる。二つのことを同時にやるのは難しい。労働者でありながら求職者になる人もいるけれど、私は私のために一つ一つ自分の役割を順番にこなしていこうと思う。

今はまだ休職者。いぇい。

 

 

私の人生と、誰かの未来

休職期間も4ヶ月目が終わろうとしています。

そして、「そろそろ次のお仕事の方向性を決めましょうね☆」という感じにお医者さんに言われています。

 

今、会いたい人がたくさんいます。

私の今の生活圏内にその人達は暮らしています。今はコロナで気軽には会えないけれど。

 

11月の半ば、鳥取に一人で旅行に行きました。

田舎でした。私が生まれ、13年育った場所にとても近くて似ていました。

砂丘は延々と続いていて、空と海と風が、私を包み込みました。

ここに住んでいたらどんな人生になるのだろう。そんな風に思いました。欲はなく、とてもシンプルな人生が送れたかもしれません。だけど、そう思うのはそこに生活がないからかもしれません。

 

今とっても会いたい人達は、私が心地よく感じた場所には住んでいません。そして私も。

日々、忙しなく人々が行き交うところに住んでいます。

 

私は、今住んでいる場所から離れたいのでしょうか。今とっても会いたい人達がいる場所から離れたいのでしょうか。

例えそうだとしても、それもまた人生です。

私は一人で、自分の人生のために、どこかに行くかもしれません。

 

もしものお話です。

私たちは、未来を想像することはできても「見る」ことはできない。

 

私は今、とっても迷っています。

 

ままならないから私とあなた

以前このブログで朝井リョウさんのエッセイ「風と共にゆとりぬ」についての記事を書いた。その時の私は彼の卑屈さや、彼の綴るエッセイのくだらなさ、時々興味深さに心を踊らされていた。

そしてその記事にも書いたように、私は彼をもっと知るために彼の小説作品を読むべきだという使命感にかられた。「ゆとり」を読み終わるよりも前に購入したのは、文春文庫から出ている「ままならないから私とあなた」。

彼の「代表作」とは言われていない一作。偶然見つけた。なぜか私はその時、「桐島、部活やめるってよ」でも「何者」でもなくこのままならない一作を選ぶべきなのだろうと思った。これには私の、何となくヒット作品を犬猿する、という性格も関係していると思う。けれど、それだけではなかった。この単行本の表紙に注いている夕日が、長く伸びる学生の影が、白枠の中で静かにこちらを見つめてくる中央の文字が、私の脳みそのどこかを刺激した。

 

そして昨日この小説を読み終え、切ないでもなく、悲しいでもなく、それでもなんだか晴れ晴れしない気持ちを抱きながらこの文章を書いている。

 

この物語の主な登場人物は2人。

主人公の雪子。その友達の薫ちゃん。薫ちゃんは主人公のことをユッコと呼んでいる。

小学5年生の二人は親友。正反対の、親友。無駄を愛する少女と無駄を嫌う少女。この「無駄」を挟んで二人の人生は進んでいく。

 

正直、この小説の終わり方は私が想像していたものとは違った。そんなこともある。

 

正直、小説を読んでいる最中、この物語が一体どこを目指しているのかわからなかった。

無駄を愛する雪子の心情にはいつもモヤがかかっていて、私を常に煮え切らない気持ちにさせた。雪子の人生では確かに何かが起こっているのに、私が文章を追っていると、いつの間にか、なんとなくはっきりしないまま次の区切りへ進んでしまう。

それとは反対に無駄を嫌う薫ちゃんが心に抱く思いや野望は、常に目に見える状態だった。薫ちゃんの人生は、その区切りが終わるごとに確実にモノを得ていて、次に進む準備が整っている状態だった。

 

語り手である主人公雪子の頭の中がはっきりとわからないからこそ、どこに向かっているのか、この物語がどんな風に終わるのか、ずっとわからなかった。だけれど、雪子が無駄を求めること、薫ちゃんが無駄を嫌うことだけは、なにが起こっても揺るがない事実としてそこにあった。

雪子が、雪子の思いを薫ちゃんに伝える2022年7月24日までは。

 

24歳になった雪子は、無駄があること、自分にも相手にも思い通りにならない事がるからこそ愛おしいのだということを薫ちゃんに知ってほしいと願った。共感しなくてもいいから。無駄を省いてすべてをコントロールすることの外側に、本当の人間らしさがあることを。外側の世界に怯える必要はないことを。

 

ままならないことがある人間だからこそ。

 

薫ちゃんが雪子の思いをどう受け止めたのかはわからない。

だけどわかることもある。薫ちゃんが、雪子の思いをしかっりと聞いていたこと。だからこそ、2022年7月24日、ままならないことを目の前にして怯える雪子に彼女はこういう。

 

「ままならないことがあるから、人間・・・・・・」

 

薫ちゃんは、ままならないことがあるからこそ人間はどうあるべきと思ったのだろうか。

 

 

この物語はどこにたどり着いたんだろう。

何も正解としないところ?

ままならいことがあるから、人間は、雪子のようにも薫ちゃんのようにもなりうる。違うものになりうる。それぞれの価値観を押しつけることは必要ない。どんなに違っていても、人間には、それぞれにままならないことがある。それとどういう風に付き合っていくのかが、一つ、生きていくということなのかもしれない。

 

 

この物語は、読む人の価値観によって感じ方が異なるのではないかなと思う。例えば、雪子っぽい人、薫ちゃんっぽい人、間の人。

私は雪子っぽい人な気がする。

それから、世代によっても。さすがはゆとり世代作家の朝井リョウ。読む世代によっては想像に難しかったり、受け入れることが難しい場面や表現がある気がする。雪子側にも薫ちゃん側にもそれは言える。昔からあるモノ・コトと、いまはまだ世間に浸透しきっていないけれど確かに存在するモノ・コトがうまい具合に混ざり合っている。おそらく、一つの世代の中でも、その人それぞれの人生によって理解の仕方は様々だろう。これこそ、この作家の小説を読む醍醐味かも知れない。

 

 

 

「風と共にゆとりぬ」という一冊のエッセイをきっかけに朝井リョウという作家の作品に触れ、今回「ままならないから私とあなた」という同作家の作品に出会った。

これまで読んできた中でも、最も「現在」と「私」に近い文章を書く人だなと感じている。ぜひ次はエッセイの第一弾「時をかけるゆとり」を手に取ってみよう。

 

最後の砦

友人から、「あなたは最後の砦だ」と言われた。

 

その友人に会うのは半年以上ぶりだった。その間に私は様々な感情を経験した。全てを彼女に話した。

彼女は話さなかった。私の言葉を聞いていた。でも私には見えていた。彼女が自分の中にあるなにかと私の言葉を重ねていることが。

それでも彼女は聞いていた。

優しく、強く。

 

全てを彼女に話した。

彼女の中にある何かに触れられるように。少しでも彼女の気持ちが晴れるように。

彼女にも、全てを話して欲しかった。そういう子ではないと分かっていたけれど。

私の中での平等を求めた。

 

「私ばっかり話しちゃったね、ごめんね、次はわたしが聞くね。いつも私が救われてばかりだ。」

 

わたしはこう言った。

 

彼女は優しく微笑んだ。

 

「いいの、話して。話してほしい。あなたが話すことで、私は救われている。わたしは、辛いことを、話さずにいる方が楽なんだ。でも、話してくれる人がいたら、なんだか共感できて楽になる。だから、話してほしい。あなたには。」

 

 

私たちは、違う人間だった。

だからこそ私たちは、知らぬ間にお互いを救いあった。

 

ふたりだけで会ったのは数年ぶりだった。

 

「最後の砦」

あなたと2人で会いたいときは、いつもそういう時だ。

 

「夜中にふとあなたのことを思い出したんだ。泣きたいほど嬉しそうに、シュークリーム食べてた。」

 

わたしは彼女にそう伝えた。

 

 

部屋

 私の自己紹介欄を読んでご存じの方もいらっしゃるかと思うが、このブログは精神的なアレコレにより休職中の人間が始めたもので、現在もその真っただ中である。

 

 この記事を読むにあたって知っておいてほしいことは、私が、今在籍している会社に復帰するつもりはないということ。それだけ頭に入れておいてほしい。

 

 先日、元上司と部下(といってもほぼお友達)によって、「私の身を案じる会」が神奈川県某所で開かれた。仮に上司をY、部下をSとする。

この元上司Yというのは、私が会社内で最もお世話になり、最も尊敬している人で、この人のために働いていたと言っても過言ではない人物。2年間を共にした人だ。キャリアコンサルタントの資格を取得中である。

部下のSは、主婦のパートさんで、かわいい。好き。高校生の息子がいるなんて思えない若々しさ。好き。なのである。

休職期間が始まってから、本当は私が一番会いたくて、でも一体どんな顔をして会えば良いのかわからずずっと連絡を取れずにいた二人で、この会は、そんな二人からのお誘いだった。

 

ちなみに余談だが、我々の間ではこの会を、Sの名を「徹子の部屋」に当てはめて「〇〇の部屋」と呼んでいる。が、あいにく実名は出せない。残念だ。身内ネタだし。それでもこの「部屋ネタ」を強調したくてタイトルを「部屋」にしました。意味を分かってほしくて説明までしました。悔いはありません。

 

 さて、第一回「身を案じる会」はザックリいうと私が休職に至った経緯、現状、今後の三点を探る会であった。誘われた時点で分かってたけどね。

 会場となったとあるカフェで席に着いた瞬間から、私は、いつ、どのように、どんな風に何を聞かれ、そしてどの様に返答されるのか、正直大変に緊張していた。しかし、「動のS」と「静のY」に導かれ、私は嘘のようにべらべらと本音をあらわにした。

 わかっていた。Yがこの会に正社員ではなくパートのSを連れてきた時点で、いかに話しやすい空間が生まれるかなんて。それにしても、「動のS」の質問の仕方が見事すぎる。さすがに人生の先輩。参りました。

 

 また共に働きたいと願うSの容赦ない、でも不快でもない質問攻めに、私は一つ一つゆっくりと、答えていった。その間、「静のY」は、時に微笑み、時にうなずき、まっすぐに私を見ていた。私の言葉を聞き逃すまいとしていたように思える。何を言うことも許された。

 Sが私に様々な事柄を尋ね、私が答え、Sがそれに対する気持ちを私に伝える。と同時にYに視線を送る。Sの思うところは、正社員的にどうなのか、と確認するように。そんな風に会話が次から次へと進んでいった。私がゆっくりと言葉を選んでいたように、視線を送られたYもまた慎重に言葉を選んでいたように思う。

 

 恐らく、Sがその日最も私に確認したかったであろう、転職の意志を、私がはっきりと口にしたのは会が始まってからどれほどたった時だっただろう。

 Y の、それに対する返答はこうだった。

「今までの彼女の話を聞いた上で(中略)私は最終的には転職を勧めると思う」

そしてこうも言った。

「次の職が決まるまでのサポートならいくらでもする」

 

 私は、安心した。本当は一番怖かった。Yに会って、もしも転職を止められたら。強引に止められることがないのは確かだった。ただ、話をした後で、転職に対して背中を押してくれるかどうかは正直わからなかった。どんなに信頼している人でも。いや、信頼している人だったからこそ。信頼してくれている人だったからこそ。

 立ち去ろうとする人間に対して、ここまで尽力してくれる元上司が他にいるだろうか。私は本当に運が良い。恵まれている。

 今後、次の職を見つけるまでの間、実際にYにどの程度お世話になるかはわからない。近しい人だからこそ見えない部分もあるかもしれないから。ただ、私を知っている人の力もまた借りよう。借りられるものはいくらでも。

 

 会を終え、帰り道、この会社に入社し、YとSという人間に出会えたことは私にとっての大きな財産だと思った。

 家に戻り、夕飯の準備をしている母に、会の様子やYの言葉を伝えた。母は言った、

「類は友を呼ぶのよ。あなたが会社で誠意をもって働いていいたからこそ、そうやって誠意をもって大切に接してくれる人がいるのね」 

 

「類は友を呼ぶ」

 

これまでの人生で、こんなにもこの言葉が優しく聞こえた日はなかった。

まだ途中だけど

タイトル通りまだ途中だけど言わせてほしい

 

ワタシ、アサイリョウ、スキ。

 

ご存じの方もいらっしゃると思うが、アサイリョウとは作家の朝井リョウのことである。私は今、彼のエッセイ「風と共にゆとりぬ」を読んでいることろだ。エッセイとしては第二弾らしい。

 

私にとっては、はじめての朝井リョウ

 

まず本題に入る前に伝えておきたいことがある。それは彼の名が世に出回り始めたころ、彼には「直木賞を受賞した兼業作家の新入社員」という一面があったことを知らずに、私がこの本を手に取ったと言うことだ。なんなら作者に伝えたい。「桐島、部活やめるってよ」は流行っていたけど読んでないことも。ちゃんとこのエッセイの題名とカバーに惹かれました。貴方も読めばこの気持ちが分かるはず。

 

はい。では。

果して朝井リョウという人間の作品を小説ではなくエッセイから読み始めてしまったことがよかったのかどうかはちょっとなんともいえない。しかし、私は好き。この、とっても卑屈な人間のエッセイ。著名な方に対してこんなにまっすぐに卑屈なんて言っていいのか多少思い留まるところもあるが、あえて今回は思ったままをここに記しておくことにする。

自ら進んで読みながら、なんなの?そこまで捻じ曲がる必要ある?と多少の苛立ちが沸き起こることもあるが、そこはまぁ人間同士しゃーない。そんな感じだ。

それでも何となく、この作家をこのエッセイだけで知っているのは罪のような気がして、そのうちちゃんと小説の方も拝読させて頂こうと心に決まりつつある。

 

 

なんだかクスッと笑えて、時には声に出し笑えて、でも何も得るものがない感じ久々だななんて思いながら読み進めていたら、朝井リョウ自身がさくらももこ好きだという箇所を読んであーなるほどしっくりきた。

私自身は実はさくらももこのエッセイをちゃんと読んだことがなく、チラッと覗いたことがある程度なので深くは語れないが、あーなるほどしっくりきた。

このエッセイの中で、少しだけさくらももこの作風にも触れてくれているので、きっとこれまで全くももこ作品を読んだことがない人も、あーなるほどしっくりきた。

 

いいじゃん?作家がトークイベントの序盤で踊ったって。

いいじゃん?実は結構ネチネチして気持ち悪いビール掛け慰労会がとん挫したって。

 

なんかむしろフリーダムで憧れる。卑屈なのに。

あれ、朝井リョウ、卑屈なだけじゃないじゃん!今気づいた。

 

かと思ったら、兼業作家時代に働いていた会社での、心がちょい温まって且つちょい悩ましくなるおもしろエピソードもある。

 

とりあえず読んでほしい。あんまり語ると面白くないから。

 

あとまだ二部と三部が残っている。

公共の場でもこのエッセイを読めるのは、マスクを着用することがほぼ義務となっている今のうちだ。

このにやつき顔を公衆の面前にさらすことだけは避けたい。

本にカバーはつけていない。カバーは有隣堂でしか付けない派だし、だってなんかおしゃれなんだもん、単行本の表紙。